2008年11月1日土曜日

ワタシハ愛サレナイカモシレナイ

二宮ひかるがレディス系でなくてヤングアニマルでデビューしたのは青年漫画界にとって非常に重要なことだったと思う。

と、まあ振りかぶるだけ振りかぶっておいて放置して、今月の「シュガーはお年頃」主人公が「自分がなぜ娼婦になりたいと思ったのか」を思い出すあたりで、何とはなしに感じたデジャヴの思い出話。

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昔女の子の知り合いと話してて、まあその子が非常に毒舌というかボーダーで攻撃的な子だったのだけど、なんでそんなに尖ってるの、と聞くに、自分には周囲に攻撃的になっていいだけの理由がある、と彼女はのたまうのね。

「だってアタシは昔から周囲の望む振る舞いを演じさせられてきたんだもん!」

だけどまあ傍から見るとその子ほど傍若無人に周囲に毒を吐き散らしている子もいなかったわけで、なにそれ具体的に何をさせられてきたのかと尋ねるに、女の子がいわゆる女の子らしくしなきゃならなかった、そのことが非常に苦痛だったと。

でも誰が強制したの?と聞くと
「みんながよ」
と言う。

みんなって誰?と聞いてもはっきりしない。親も家族も特に何か躾けたわけではないようだし(でなきゃそこまで毒吐きの性格にならない)一体何がそういう強制をしたの?

「そういう空気があるの!」

ああ・・。
わからないなりになんとなく理解したのは、女の子には「○○してないと愛されない」という抑圧の空気がずーっと存在するらしい、ってこと。

彼女ほどの世の中「キライ」まみれの人格でもそこまでの圧迫を感じていたと言うのは、よほど根深いものなのか。
それがどこから沸いてくるもののなのか、ホルモンの悪戯なのかボーヴォワールよろしく後付けなのか。

んでそのコンプレックスが消え去るときが、少女がオバサンになるときなのではないか、と。

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